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広島高等裁判所 昭和47年(ラ)18号 決定 1972年9月18日

抗告人

藤井昭典

右代理人弁護士

長谷川茂治

外一名

相手方

株式会社広島ホームテレビ

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣旨と理由は、別紙記載のとおりである。

よつて、本件抗告の当否について判断する。

自己に対する解雇の効力を争う給料労働者を仮処分債権者とし使用者を仮処分債務者として、雇傭契約上の従業員としての地位を仮に形成し、併せて賃金の仮払を命じる仮処分は、いわゆる満足的仮処分であつて、その保全の必要性に限つて言えば、本案判決の確定前に被保全権利が満足されなければ権利自体が無意味となるか、或いは無意味に等しくなる場合、すなわち仮処分債権者が現実に生活に困窮するような場合に限つて、後日被保全権利が否定されたとき仮払金を仮処分債権者から回収することが事実上不可能となるおそれがあつても、これを許すのである。したがつて、保全の必要性の判断にあたつては、先ず民事訴訟法第七六〇条但書所定の要件すなわち仮処分債権者側の事情が右の程度にまで急迫かつ重大な段階に立ち至つているか否かが重視され、この点が消極に判定されるならば、仮処分債務者側の事情を考慮することなく、満足的仮処分の申請は却下されるべきものであつて、右却下の場合においては、特段の事情のない限り、抗告代理人主張のような保全訴訟の当事者の法益権衡の原則重視の必要を見ないのである。

ところで、本件記録によれば、広島地方裁判所は、昭和四七年六月一六日、抗告人を申請人、相手方を被申請人とする昭和四七年(ヨ)第一三九号地位保全仮処分申請事件において「申請人が被申請人の従業員である地位を有することを仮に定める。被申請人は申請人に対し、昭和四七年六月から本案判決確定に至るまで毎月二〇日限り金一〇万一、六九〇円を仮に支払え。」との仮処分決定をしたことが認められ、また、本件記録中の昭和四七年五月二二日付地位保全仮処分申請書によれば、抗告人の扶養家族は妻と子一人であることが疏明されるに過ぎない。

そうすると、抗告人は、右仮処分の仮払金によつて一応の生活生活を維持できているものと推認され、本件夏期賞与を現在受領しなければ抗告人の生活が著しく困難になるとは認められないから、本件仮処分申請は棄却を免れない。

抗告代理人は、従業員としての地位を仮に定められている以上解雇がないのと同様の権利を認めるべきであると主張するが、このような仮の地位の形成が本件賞与仮払の仮処分の保全の必要性と関係がないことは先に説示したところから明らかである。

また、抗告代理人は、「本件賞与は実質上賃金であつて、賃金全額が当該労働力の価値、即ち再生産費用であるから、憲法により保障された労働者の生存権、労働基本権の観点からすると、賃金全額が支給されてはじめて地位保全に支障がなく生存権を全うすることができると言えるものである。」旨主張するが、先に説示した満足的仮処分の性格からして抗告人の賞与請求権の即時実現を期さなければ右権利の存在理由を失うと解することはできず本件仮処分申請を棄却しても抗告人の生存権に支障がないと認められることは前に判示したとおりであるから、右主張は理由がない。

また、抗告代理人は、原決定は先になされた従業員の地位を仮に形成する仮処分と矛盾牴触し無効である旨主張するが、従業員の地位の仮の形成が賃金仮払命令を含まないのは言うまでもなく原決定は賃金即ち賞与請求権の不存在ではなしに仮払の保全の必要性の不存在の故に本件申請を棄却したにすぎないから、原決定は前記仮処分と互に矛盾牴触するものではない。したがつて、原決定は相当であつて本件抗告は理由がない。よつて主文のとおり決定する。

(松本冬樹 浜田浩 野田殷稔)

抗告の趣旨

一、原決定を取消す。

二、相手方は抗告人に対し金一七五、六〇〇円を仮りに支払え。

三、申請費用は相手方の負担とする。

との決定を求める。

抗告の理由

一、原決定は、同裁判所が昭和四七年六月一六日いわゆる仮の地位を定める仮処分決定をなし、相手方は抗告人に対し昭和四七年六月から本案判決確定に至るまで毎月二〇日限り一〇万一、六九〇円を仮に支払えとの決定により容認されている金額からいつて、夏期賞与についてまで仮に支払いを求める必要性があるかは疑問である旨述べている。

二、しかしながら、仮処分の必要性を決定する要素として最も重要な点は法益権衡の原則、すなわち仮処分をしないことにより申請人の被むる損害が、仮処分をすることによつて被申請人の被むる損害より大であるかどうか、である。特に、仮の地位を定める仮処分、すなわち申請人に仮に一応の満足を与えるということは緊急の事態に対処するための非常救済手段であり緊急避難の法理の妥当する分野であるからこの法益権衡の原則が仮処分の必要性を決定する最も重要な要素と考えるべきである。原決定はこの理を看過し、既に仮処分決定で相手方に対し抗告人に毎月一〇万余円の支払を命じているのであるから夏期賞与についてまで仮に支払いを求める必要性があるかは疑問であるとして抗告人側の事情のみを必要性判断の基礎とした違法がある。

三、更に、抗告人が従業員たる地位を有することを仮に認められている以上解雇前と同様に従業員として就労義務を有する反面その権利は全て享受し得べきものであり、解雇前に比しその権利が縮少されるべきいわれはない。

原決定は最低限度の生活保障がなされているのであるから、あえて賞与についてまで支給する必要はないという思考をとるもののようであるが、本件賞与は実質上賃金の一部であり、およそ労働者に対する個別的賃金は、その金額が当該労働力の価値―再生産費用―としての意義を有し、他の労働者の賃金や最低生活費等によつて代置さるべきものではなく、憲法により保障された労働者の生存権、労働基本権の観点からすると、就労義務を負う労働者に対しその反対給付たる賃金の一部が支給されなくともその地位保全に支障がないとする原決定にはとうてい承服しがたく、右にのべた意味において賃金が労働者の生存の基礎たる以上仮処分によつて実体上従前の地位と同一の地位を維持できることこそ労働者にとつてその生存権を全うする所以である。

従業員たる仮の地位を定める仮処分は解雇のなかつた法律関係を仮に作出するもので、前示のとおり抗告人が相手方の従業員である地位を有することを仮に定めるとの仮処分がなされているのであるから、賃金の実質を有する本件賞与仮払いの仮処分を棄却することはさきの決定により容認された地位の一部を剥奪するにほかならず、かくては原決定は、さきの決定と矛盾、牴触し、これを変更するものであるから、この点においても違法不当である。

そして、賃金請求権の行使に対し相手方が任意に義務履行をなさず抗告人の権利が障害されている以上、抗告人がこれが仮払いの仮処分を求めることは、権利行使の方法としてその必要性のあることもいうをまたないところである。

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